平成16年8月28〜30日 薬師沢
8/28 | 7:00 | 折立 発 |
7:50-8:00 | アラレちゃん | |
8:20-30 | 三角点 | |
10:40-12:30 | 太郎平小屋 | |
14:30 | 薬師沢小屋 着 | |
8/29 | 10:00-16:00 | 黒部川をうろうろ |
8/30 | 8:10 | 薬師沢小屋 発 |
10:20-12:40 | 太郎平小屋 | |
14:35-15:00 | 三角点 | |
15:40 | 折立 着 | |
2.5万図 「薬師岳」 |
学生時代や富山に来てしばらくの頃は、この8月の最終週は薬師沢に入ることが恒例になっていた。
なぜかというと、この季節がこのあたりの沢をうろうろするには一番快適な季節だから。水量が減るし水温も上がって沢歩きが非常に楽になるんである。シーズン最盛期も過ぎて赤木沢のような人気のある沢でも人に会うことが少なくなるし、またその頃は足繁く顔を出していたイワナの会の定例調査釣り(に名を借りた宴会)があったからでもあった。
去年もやはり8月末に薬師沢に入り鉄砲水に遭遇したわけだが、今年もやっぱり薬師沢に入ることにしたのだった。やっぱこの時期には薬師沢に入らないと落ち着かない・・・
今回は長男の大を初めて薬師沢に連れていくことにした。
ひとつは、大が高校生くらいになったら山小屋にバイトで放り込んでやろう(本人次第だが)と企んでいて、ここらでひとつ「楽しい山小屋生活」を体験させなくては、と思ったのと、最近1人で薬師沢に入るとロクな目に遭わないので、ちょっと目先を変えてみようかと思った次第である。
私はどうやら雨男のようである。それも単なる雨ではなく、鉄砲水とか雷とか、どうもこのところ星の巡りが悪い。
一方、カミさんは究極の晴れ女である。
この2人の子供である大を連れていくことで、果たしてどのような影響があるのか?非常に興味深いテーマであった。
さて、台風16号なのであるが、私が入山する前日までの情報では、九州からそのまま日本海に抜け、北陸地方にはほとんど何の影響も及ぼさないはずであった。週末の予報が概ね晴れなのを確認して出発。今回は子供連れなので、増水中の川を徒渉したり雷鳴の中1時間も座り込んで待機したりといったエキサイティングなことをやるわけにはいかないのである。
車酔いで青い顔をした大と折立からいよいよ出発したのであった。
三代目アラレちゃんにて |
アラレちゃんには50分の所要時間で到着。まあまあのペース。
それにしても今年からの「三代目アラレちゃん」は非常にブスである。へたっぴな・・・
今までは必ず弟という自分より足の弱い人間がパーティーにいて、真っ先に泣き言を言うのがその弟だったのに、今日は私と2人。この初体験は大にとって少しきつかったらしく、三角点前後から泣きが入るようになった。「だってもうすぐじゃないねか」なんてまるっきりいつもの生のセリフである。
とはいうものの、3時間40分という決して遅くはないペースで太郎小屋に到着した。
太郎小屋にて |
太郎小屋では食事をしたらさっさと出発するつもりでいたのだが、従業員の高橋さんの息子が小屋にいて、同年代の子供ということですぐ仲好しに。
人生ゲームなんぞを始めてしまって、なかなか出発できないのだった。
また、私達に少し遅れて中島先生夫婦も登ってきた。会うなり奥さんに、「どうしたの〜、このお腹は」と言われてしまった。あの〜、それ去年の6月にここで会ったときも同じセリフを言われたんですけど・・・
ちなみに中島先生夫婦は、約40年前の太郎のバイトである。んでもってその娘さんが私と同時期にやはり太郎でバイトしていた。この中島先生の娘さん、当時のヤマケイや夏山JOY(今のヤマケイJOYの前身誌)に毎年載っていたほど可愛い子で、当時の太郎関連山小屋のバイト連中には隠れファンが非常に多かった。私ももちろんファンだったのだが、ずっと薬師沢にいる身では接触することもままならず、会話を交わした記憶すらほとんどない。むろん、彼女は私のことなどは覚えてもいまい。
その彼女が結婚した時は、元バイト連中が寄り集まるごとに摘まれてしまった一輪の花を惜しんだものである。
話が逸れたが、その彼女の息子(娘?)、つまり中島先生にとっては孫が6歳になるそうである。で、中島先生はその孫が高校生になったら太郎にバイトで放り込むことを企んでいるのだとか・・・バイト三代繁盛記である。負けてられるかと力んでみても無益なことなのだが・・・
そんなこんなで、中島先生夫婦も今日は薬師沢ということで、では一緒にと揃って出発したのであるが、下りになると大のペースがさっぱり上がらず、置いてきぼりを食ってしまったのであった。
大はかなり疲れているらしく、歩き方がいい加減になっていた。そんな歩き方をしていると痛い目に遭うぞと何度か注意したのだが、ついに木の根に足を取られて派手に転び、向こう臑を強打して大泣きしてしまった。
なんとか歩けるようになってから今は転んで痛い目に遭うだけで済んだが、もし場所が場所だったら泣くこともできないことになっていたかも知れないんだぞ、と言い聞かせながら歩いた。
実際、ガイドブックなどには何の問題もないような記述をされている道でも、「転んじゃったら命が危ない」場所は掃いて捨てるほどあるのである。この薬師沢への道でも、現に転落死亡事故も過去に起きている。事故の多くは「何でもない場所」で起きているし、これから先(転んだ地点から薬師沢小屋までの間)にも、転んだらただでは済まない場所はあるのである。
さすがに「疲れたからと言っていい加減な歩き方をしているとどういう目に遭うか」ということは身をもって知ったようで、痛みに耐えながらもしっかり歩くようになった。向こう臑は青く腫れ上がっていて、相当痛かったはずなんだけど。
この「転んだらアウト」の場所とは、カベッケヶ原から薬師沢の小屋に下っていく場所のことである。黒部川本流と薬師沢の合流点に向かって降りていく細い尾根を下っていくのだが、近年両側から崩壊が進んでいて、部分的に尾根がかなり細くなってしまっている。樹林帯の中なのでさほど高度感はないのだが、落ちたらかなりヤバイ場所がほんの50mほどの間に立て続けに出てくる。むろんロープ等でできうる限りの対策はされているが、なんせ尾根自体が細くなっているので、気を抜いて歩いているとちょっと危険だと思う。小屋の屋根が見えてくるのでまた気が抜けやすいところでもあるし。
先ほどの薬が効いたのか、大は慎重すぎるくらい慎重に降りて行き、ようやく薬師沢小屋に到着した。
薬師沢小屋の厨房にて |
薬師沢小屋ではお客が40人くらいとこの時期にしては多かったのだが、ヘリポートで中島先生の仲間が10人ほどで宴会をしていたところに乱入してしまい、明るいうちからすっかりできあがってしまった。よって手伝いは洗い物くらいになってしまったのだった。
大も小屋について一休みしたら復活したらしく、「退屈〜」などと言いながらも吊り橋を渡って向こう岸に遊びに行ったり、バイトの山ちゃんに火遊びを教えてもらったりして、それなりに楽しんでいる様子だった。
ところでこの日のお客には、かなり問題があるグループがいた。
やはり10人くらいのグループで、中島先生のグループがヘリポートで宴会している時、小屋前のテラスでやはり宴会をしていた。この時は別にどうと言うことはなかったのだが、食事の時は食堂の他の人達が会話できないほどの大声で騒いでいた。で、食事が終わって食堂を出た後は、小屋前のテラスに戻ってそこで宴会を続けていたらしい。私は早々に寝てしまって、しかも場所が大部屋の隅だったのでまったく気付かずに爆睡していたのだが、相当騒がしかったらしい。小屋のバイトが数回注意したが静かになるのはその一瞬だけで、あまりの騒がしさに中島先生の奥さんが「いい加減にしてください!!」と怒鳴ったのが午前1時で、旦那さんはその怒鳴り声で目を覚ましたらしい。
さらに翌朝、怒りの冷めない中島先生の奥さんの証言で発覚したのだが、そのグループは夕食の席で握り飯を大量に作っていたらしい。私や他の人はあまりのうるささに、そのグループのテーブルはまともに見ていなかったので気付かなかったのだが、中島さんがテーブルに大量の握り飯が積み上げられているのを目撃したそうな。
そういえば私がそのグループのテーブルを引いたとき、ご飯茶碗はほとんど伏せられたままで使用された形跡がなかったにも拘わらず、山ちゃんの証言に依ればお櫃はほぼ空になっていたそうだ。
・・・そんなことをされたら、弁当にお金を払っている意味がないではないか。
実は、私達が玄関の帳場の前でその話をしていたとき、例のグループはまだ玄関前で出発準備をしていたのである。もう8時をとうに回っていて、他のお客は全て出発した後であった。ま、この日は下山だし昨夜夜通し騒いだのなら、早起きする元気もあるまい。出発するぞと靴を履いて玄関を出てから30分以上も「出発準備」をしてるというトロくささだったのはともかく、その中の数人が小屋前のジュースを取って飲んでいた。ところが黙って見ているとそのまま何食わぬ顔をして出発しようとするので、たまりかねて小屋番の坂本さんが「さっきジュースを3本飲まれましたよね?」と声をかけると、ようやく決まり悪そうにお金を払ったのであった。
これでは昨夜の夜通し宴会中にも、何本か盗まれてるよね。なんせジュースを冷やしている池は玄関の外にあり、夜もジュースやビールはそこに入れっぱなしである。黙って取るのに何の苦労もないのである。
彼らが出発した後、小屋番の坂本さんが「今年一番のタチの悪いお客でした」と言っていたが、私もこれほどのは初体験であった。
夜遅くまで騒ぐ、お櫃のご飯でこっそり弁当を作る、飲み物の飲み逃げとそれぞれのパターンはここで働いている3シーズンの間に何回か経験しているが、三拍子揃った集大成を見たのは初めてだったのであった。しかもそのそれぞれが非常に高レベルときたもんだ。
中島先生の旦那さんとそのグループは、既に5時出発というハードスケジュールで赤木沢に行ってしまっていて、奥さんだけが太郎に直行で下山という予定だったそうだ。で、奥さんは今出るとおそらくちんたら歩いているであろう例のグループに追いついてしまうのではと少し出発を遅らせていた。
その奥さんの出発も見送り、イワナの会の榎本さん達が上流に釣りに行くのを見送り、朝のティータイムをのんびり過ごしてから私達も出発することにする。出発したのは午前10時頃だった。
目的地は特にない。上流に向かってできれば赤木沢の出合いくらいまでは行きたいとは思っていたが、なんせ大は沢歩き初体験。徒渉能力がまったくの未知なので、まあ行けるところまでという程度の気持ちである。途中、釣りをしている榎本さん達にも会うだろうし、そこで釣りを見ていたりしたらもっと遅くなるだろうし。
黒部川源流を歩き始める大 |
とりあえず水に浸かってみる大 |
天候は決して良くはなく、朝から時折パラパラと降ったりもしていたが、当面この日のうちは大崩れすることはないと判断して歩き始める。
荷物は私のザックに軽く収まる程度なので、今日は大は空身行動である。
途中、用もないのに大を水に入らせたりしているうちに中州を過ぎ、最初の徒渉点がやってきた。これまで左岸通しに来れたのだが、左岸に壁が出てきてへつるか渡るかの選択を強いられるところである。へつると腿程度の水深なので普通は徒渉を選択する。高巻きルートもあるのだが、せっかく気持ちよく沢歩きをしているのに何も好きこのんでヤブの中に入ることもあるまい。
まあ別に難しいところは何もなく、薬師沢出合いから上流の黒部川は、普段ならいつでもどこでも渡れるのだが、今回は子供連れである。
最初に選んだ徒渉点は、脛程度の「水中飛び石」になるところで、これは途中までは大も行けたものの、最後の1歩がどうしても出なかった。腋に抱えて強行突破もできたのだが、それでは大も私も面白くないので少し下流に戻ってもう少し易しい徒渉点を探す。ま、大の履いている靴は私のと違って普通の運動靴なので(それでも一応「ウォーターシューズ」と名乗ってはいるが)、どうも濡れた岩ではあまりグリップが良くないようである。この時期は水中の岩も水垢が着いていたりするし。
少し下流で見つけた徒渉点も大には少しきついようで、ずっと近くでヘルプしながらの徒渉になってしまった。この日はずっとこんな調子だったので、大の徒渉中の写真を撮りたかったのだが不可能だった。
中州を過ぎてしばらくすると下から釣り人が登ってくるのが見えた。どうも榎本さん達を追い越してしまったらしい。中州で私達はほとんど水が流れていない右の方を通ったのだが、榎本さん達は当然左を選択したので、中州の間に追い越してしまったようだ。
釣り師3人組 |
さて、釣れるかな? |
釣れたイワナをリリース |
これも釣れたイワナをリリースするところ |
3人は、ほんの50mほどの距離を、たっぷり20分はかけてやってきた。まあ釣り師のペースなんてそんなものである。
榎本さんは気にせず先に行けという素振りを見せていたが、大が釣りに興味を持ったようなのでそのまま見物していた。
薬師沢小屋番の坂本さんによれば、今年はずいぶんイワナの型が小さく、平均して22-23cmといったところだそうだ。水の中のイワナはもう少し大きく見えたりするのだが、釣り上げられると確かに思っていたより小さかったりする。
あのでかいのを釣りたい・・・ |
榎本さん達が私達に追いつくのを待っていたのは、私達が待っていた地点のすぐ上に右の大きな淵があり、ここに数匹の割と大きなイワナがいたのを見ていたからである。私達が横を通ってイワナたちを警戒させてしまっては、と思って待っていたわけである。
最初は3匹だと思っていたこの淵のイワナは、よくよく見ると5〜6匹いた。
ようやく私達に追いついた榎本さん達がこれを見て嬉しそうに竿を振る。
が、釣れない。ライズはするのだが、合わせる前にターンしてしまうのである。何度となく毛針がパシャッと踊ってから虚しく引き上げられる光景が繰り広げられた。どうも合わせが遅すぎるらしい。
と偉そうなことを書いているが、私は毛針をくわえたまま水中にターンしていくようなマヌケなイワナしか釣ったことがないので・・・
榎本さんは何度か逃げられた後、早合わせに切り替えてようやく何度もからかわれていたイワナを釣り上げることができた。
が、淵の向こうの大岩の下に3匹ほどかなり大きめのイワナがいたのだが、そいつらは水中から上がってくる気配すら見せない。
そうそう、私は一度榎本さんに釣られてしまった。
ちょうど上の写真を撮った直後なのだが、榎本さんが竿を振ったとき、私の腕に毛針が刺さってしまったのだった。むろん、こんな位置にボケッと突っ立っていた私が悪いのである。ま、返しがない針なので痛くもなかったし取るのも簡単だったが。
大は釣りにかなり興味津々だったのだが、とことんつき合っていると日が暮れるので先に行くことにした。榎本さん達もこの淵から動く気配がないことだし。
すぐ上の淵にも数匹のイワナがいたのだが、もう気にしないことにして先に急ぐ。
そこから2回ほど徒渉し、もう赤木沢出合いまで500mほどの地点で時計を見ると、既に1時半だった。出た時間が遅かったし釣りを見ていたので仕方ないのだが、ちょっと時間切れか?帰りも徒渉を何度かすることを考えると、天候も何時悪化するかも知れない状況で大を連れてこれ以上行くのはあまり賢くないな、と思った。
私1人なら赤木沢出合いまで10分程で行けるだろうし、赤木沢出合いから薬師沢小屋まで30分もあれば帰れるので、天候が悪化してから引き返しても十分間に合うのだが、大を連れてだと天候が悪化してしまったらちょっと焦る。
ということで、大に赤木沢出合いを見せたいのはやまやまだったのだが(そりゃもう綺麗なところだから)、飯食って引き返すことにする。
河原で握り飯を食べて引き返していくと、榎本さん達はまださっきの淵にいた。榎本さん達も食事中だったのでコーヒーにお呼ばれしてしばらく座り込み、さらに上流に向かう榎本さん達と別れて下流に向かう。
大はかなり馴れてきたのか徒渉もスムースになってきた。この調子なら赤木沢出合いまで行けたな、と思ったが後の祭り。それならばもうひと遊びしようか、というわけで今度は薬師沢小屋から下流に行くことにした。
下流は高天原に向かう大東新道が通っているのだが、当然ハシゴが付けられている高巻き道は無視して川の中を進む。
実は薬師沢出合いを境に地質が変わるようで、下流の岩は滑りやすくて少々歩きにくい。大は少し苦労しているようだが、それでも積極的なヘルプは必要とせず、自分で歩けるところを見つけて歩いていた。間もなく魚飛びの滝に到着。ここを大に見せたかったのだった。
魚飛びの滝は、落差は3mほどなのだが10mくらいの長さがあり、滝というのはちょっとためらう傾斜なのだが、午後にはここをイワナが飛び越えて遡上していくのである。なので魚飛びという名前が付いているのだが(といっても山小屋関係者の間でしか通じないと思うが)、坂本さんを始め、現在の薬師沢小屋スタッフはこのことを知らないと言う。ま、イワナが飛び出すのはいつも午後3時とかいう時間帯なので、その時間帯に小屋を出ることができるはずがないスタッフが知らないのも無理はないのだが。(なんで俺が知っている??)
魚飛びの滝 |
右の写真が魚飛びの滝を上から見た写真である。
スローシャッターで撮ってみた。
小屋のスタッフが誰も知らないと言うことは、もしかしたら今ではイワナが飛ぶところはもうほとんど見られないのかと心配していたのだが、しばらく見ているとイワナが飛び始めた。数分に1回という頻度なので、しばらくじーっと見ていないと見ることができないのは昔からである。
イワナ飛び その1 赤矢印にジャンプ中のイワナ |
その1のほぼ原寸 こいつは飛距離が足りず、敢えなく失敗 |
イワナ飛び その2 |
その2のほぼ原寸 こいつはなんとか越えたが・・・ |
イワナ飛び その3 |
その3のほぼ原寸 もうちょっとで越えることができたのだが・・・ |
ちなみに彼らの滝登りは非常に成功率が低い。10回ジャンプして1回成功するかどうか、といったところである。
しかも、1回の成功で滝を越えることができるわけではなく、この魚飛びの滝を越えるには、少なく見積もっても4回のジャンプを成功させなくてはならない。それも3回成功して最上段に達しても、最後の1回を失敗すれば流されて振り出しに戻る、である。
ちなみにこれらの上の写真を撮った手前の岩は、決定的に場所が良くない。この岩を越えてくる水流が弱いので何匹かのイワナがジャンプポイントに選んだのだろうが、ここを越えると写真で判る通り、かなり激しい水流の屈曲ポイントに入ってしまうのである。なのでここを越えても100%、次で押し戻されてしまっていた。もんどりうって滝を落ちていくイワナも何度か見た。
私は写真を撮るために、ひたすらファインダーから手前の岩を注視していたのだが、大は滝全体を見ていた。大によれば、滝の向こう側の水流の最も端をジャンプしていくイワナもたくさんいたということだった。そう、この滝を越えるには、多分そこのポイントしかないのである。昔から何度もここで飽きることなくイワナの滝越えを見ているが、この右端からしか完全に滝を越えることができたイワナは見たことがない。
私は手前の岩にピントを合わせ、ひたすらこのポイントを飛ぶイワナを狙っていたのだが、向こう側を飛ぶイワナに「おーっ」という声を大が上げるので、反射的にシャッターを切ってしまい、かなりムダうちしてしまった・・・
実際、ここでイワナの滝登りを見ていると熱くなるのである。つい「頑張れ!」と力が入ってしまう。大もここはかなり興奮していたようだ。
ここにいると時間を忘れるのだが、もう4時を回っていて雨もパラパラと降りだしたので帰ることにした。
順子岩の上で |
小屋に帰ってもしばらくは、大は元気だった。
バイトの山ちゃんが作った「覗き桶」で川の中を見ていたりしていたが、イワナが見えないので飽きて順子岩の上に登っているのが右の写真である。
金網マン参上! |
小屋番の坂本氏が空き缶をヘリで下ろすための金網を作っているところにちょっかいを出し、金網を被せてもらって「金網マン」などと喜んでいるのが右の写真。坂本氏が持っているのは泡盛で、実は私と玄関先で飲みながら金網を作っていたので、もう彼も私もできあがっていたのだった。
ちなみに小屋の壁が傾いているように見えるのは、ほんとうに傾いているからである。
この日は高天に行っていた写真家の森下さんとイワナの会の北村さん夫婦が来ていた。
北村さん夫婦は前の日、なんと森下さんのガイド付きで雲の平に行っていたらしい。薬師沢に入って20年近くになるというのに、雲の平はまだ行ったことがなかったそうなのだ。ま、それもそのはず、薬師沢に来ていながら雲の平に行くなんて、釣り師の風上にも置けぬ所業であろう。
さらに大笑いしたのは、北村さんは榎本さんに「雲の平は地獄だぞ〜」とさんざ脅されていたそうなのである。榎本さんが行ったときは地獄だったらしい。なぜ地獄だったのかというと、榎本さんは嵐の日に行ったからである。嵐の日に高天原から薬師沢に帰る時に、仕方なく雲の平をとおったわけである。大東新道は増水すると通行不可能だからね。
そりゃあ、嵐の日に釣り道具担いでウエディングシューズを履いて魚がいるはずもない尾根道を歩けば、釣り師にとっては地獄以外の何物でもなかろう・・・
ちなみに北村さんは、晴れていたので天国だったそうである。そりゃそうだぁ。
それにしても最近は、イワナの会の人達もあまりガツガツ釣りをしなくなった。釣りをしに来ると言うより、旧知の人達と再会して薬師沢小屋で沢の雰囲気を楽しむために来るんだろうな。
イワナの骨酒を初体験し、目を白黒させる大 |
その日のお客はわずか2人。
イワナの会の面々を始め、内輪が10人ほどいたので完全に宴会モードだった。もう夕食前から飲み始めていたし。
そうそう、台風16号のことだが、私が入山した日に突如進路を北東に変え、北陸直撃コースを辿っていたのだった。やはり今回も下山は劇的な脱出劇になるのか???
「最近薬師沢に来るとロクなことがないんだよな〜」と言う私に、北村さんや森下さんは「今すぐ下山しろ」と言う。私が下山したら台風が逸れると思っているらしい。榎本さん達は私と同じく明日下山なので、明日は朝一番でズラかるか、等と相談していた。どうも最近、ここに来ると最後はズラかってばかりである。
大は初めての沢歩きで緊張して疲れたのか、それとも初めて飲んだ(といっても舐めた程度だが)骨酒が効いたのか、あっという間にイスに横になって寝てしまった。大を2階に連れていって布団に寝かせ、いよいよ本格的に飲み始める我々であった。真っ先に森下さんがいなくなり、北村さんの奥さんが部屋に戻ってしまい、榎本さん達が寝てしまっても私は飲み続け、結局は山ちゃんと2人で午前様になったのであった。
山ちゃんはほとんど酒を飲まない人で、いつもペプシなんぞを飲みながら宴会に参加しているのだが、どうもこの日は最後には呂律が怪しくなっていたので飲んでいたらしい。
この小屋は飲んでいても沢の音で他に聞こえないので好きである。普通の声で話していれば、食堂を出ればもうほとんど聞こえなくなるくらいである。ベスト・オブ・宴会小屋である。ま、昨日の某団体のように、食堂の他の人の会話が不可能なくらいの大声で騒げば別だろうが・・・
さて30日。いよいよ下山の日である。
台風はこの日の午前6時で広島付近にいる。速度は遅いのでまず捕まることはないだろうが、早くズラかるに越したことはないと、朝8時過ぎには小屋を出発した。朝のティータイムも省略し、それどころか部屋掃除さえ手伝わずに出るとは、我々にすれば非常な早立ちである。
膝に爆弾を抱えている榎本さん達と一緒なのでかなりペースは遅めで、大もかなり余裕があったようで元気に歩いていた。
太郎小屋まで戻ってきた |
太郎小屋からの富山平野と富山湾 |
風は谷間でも強く感じたくらいで、台風が接近中であることを思い知らされてくれたが、それでも常に視界は効いていた。
太郎小屋からは富山平野と富山湾が綺麗に見えた。実は20年以上ここらをウロウロしているが、太郎小屋から富山平野をこんなに綺麗に見たのはこれが初めてである。いかに日頃の行いが悪いか判る。
太郎小屋近くからの薬師岳避難小屋付近 |
上の写真のほぼ原寸 下山中の登山者がはっきり写っている |
奥大日から剱を望遠で写して以来、ちょっと望遠レンズでの撮影にはまってしまっていたりして。
肉眼では見えないものが見えるのは単純に面白い。
太郎小屋でもかなりのんびりしていて、結局ズラかったのは昼を回っていた。風は強いものの、天候が安定しているので焦っても仕方ないし
五光岩ベンチにて 大日や剱が見える |
相変わらずペースはゆっくりで、五光岩ベンチではあまりに剱や大日岳方面がよく見えるので、かなり長い休憩までしてしまった。ちなみにこの場所で休むのはこれが初めてである。1人で行くときはそもそも休憩自体、ほとんどしないし。
膝に故障持ちの榎本さんのペースは大にはかなり余裕だったようで、三角点で休憩した後でついに猛然と飛ばし出した。大のペースに任せてみてどのくらいの時間で折立まで下山できるか見てみたかったので、ここで榎本さん達から先行して飛ばし出した。けっこう私もマジに歩くほどのペースで下り続け、三角点から45分で折立に着いてしまった。折立に着いた途端、突然激しく雨が降りだした。
折立の休憩所で荷物の整理などをしていると、30分ほど遅れて榎本さん達が到着したのだった。
今回は、大人達はすっかり宴会モードで楽しんでいたので、もしかしたら大にはつまらなかったかも、と思ったのだが、大の感想は「すっげぇ面白かった!」だった。ま、普段から大人達が自分たち子供をほったらかしにして宴会で盛り上がってしまうのには慣れっこではあるのだが。
沢歩きも小屋生活も、どちらも気に入ったらしい。「大きくなったら山小屋で働いてみる気はある?」と聞いたら、「う〜ん、大変そうだけど面白そう」だって。よしよし、まず第一印象はまずまずだったらしい。まだまだ赤木沢も雲の平も高天原の温泉も、隠し球はいくらでもあるので、「バイト二代繁盛記作戦」の初回としては大成功だったのであろう。
また、どうやら大は微妙に晴れ男らしいことも判った。今回大を連れていくことが「雨男対晴れ女対決」であることを話したら、「だって父ちゃんの子供だから雨だよ」と言っていたのだが、私の息子であると同時にカミさんの息子でもあったわけである。
9月の連休にもう1回、今度は再び1人で薬師沢に遊びに行く予定である。今度でその真価が判る・・・